ぼくを憐れむうた

ぼくを憐れむうた

日々の雑記や音楽のお話

ここは ぐちの はかば


ぼくのギターのれきし!

Hello!

My name is Yanari.I like music!

So,I want to talk about my GUITAR!!

 

ハァハァ…………ハァハァ…………

e-type でfastをとれる俺でも英語となるとこれを書くだけで8時間かかるのか………

どうも、家鳴りんです。

 

卒業ライブ(自分のじゃない)を終えて、もう2週間ほど経過しました。

もう二度と人前で演奏することはないなぁ、なんて思いつつも、そんなことどうでも良いくらいに未だにギターには興味津々です。

しかし、過去の自分を振り返ると、かなり心境には変化が見られます。

ということで、ぼくのギターに対する、というより音楽に対する気持ちの変遷でも記録しておこうと思う。

 

あれは数年前の出来事であった………(暗転)

 

当時大学1年生であったぼくは、何かしらサークルに入ろうと考えていた。

しかしぼくは運動がからっきしだったので、これを機に音楽でもやるか、と気軽に考えていた。が、その実、結構考えとしては短絡的で、モテたいというありきたりな思考の前にギグバッグを背負いたいという、小学生の「仮面ライダーになりたい」みたいな幼稚な思考があったのだ。

ということで、紆余曲折を経て音楽サークルに身を置くことになったのだが、入部段階ではギターとベースの区別すらついていなかった。

 

(あと、変な話なのだが、色々な事情からうちのサークルではエレキ禁止でアコギしか弾いてはいけないという謎の縛りがあった。しかしベースとギターの区別すらつかない家鳴り君に、アコギとエレキの区別がつくはずも無く、その事に関して不満を抱くのはかなり後のことである。)

 

O君とのジャンケンに勝ったおかげでギターになったのだが、後から思うとベースから入らずにマジで良かったと思う。あの時ジャンケンに負けていたら…と考えると、今になってゾッとするものだ。

 

そうこうして一年同士でバンドを組むことになったわけだが、右も左も分からない。とりあえず課題曲の"コード"というのを弾くのがぼくの役割と言われたので、黙ってコードを弾いていた。

 

しばらくして、次のライブに出るとなった時、よく一緒に練習していたキーボードの奴に突然口を開いた。

「家鳴りのギターってつまんないねwいっつも同じ感じじゃんw」

…?

??

???

なに?同じ感じって?じゃあ違う感じってなに?てか普通に喧嘩しない?やろうや?

ぼくは全く意味もわからず、しかしキーボードの奴にこれ以上なじられるのも耐えられなくなり、屈辱感を携えて同期のギター歴12年のやつのアパートの扉を叩いた。

これからこのギター歴12年、通称B君には4年間ずっとお世話になるわけだが、この時はそのことを知る由もなかった…

 

彼は突然のLINEを邪険にもせずにぼくを迎え入れてくれた。彼いわく、ぼくのストロークには空ピックがなかったらしい。それが、キーボードの通称K君がぼくのギターを鼻で笑った原因らしい。す、すとろーく?すとろーくってなに?からぴっくってなに?

(ちなみに空ピックというのは教本のかなり序盤に書いてある技術であり、その後ほとんどの新入生は自分の力で身につけていた。)

ぼくはかなりの衝撃を受け、ストローク(ギターをジャ~ンと鳴らすこと)というものの奥の深さを知ることになる。

 

色々端折り、迎えた2年の春。K君が再び口を開いた。

「各パートのソロを取り入れた楽曲をやりたい」

そ、そろ?そろって?ギターソロのこと?前回のライブで、ギターソロ弾けなかったからキーボードに全部任せたギターソロのこと?

 

はっきり言って、この2年の春はぼくにとって非常に大きな転機を迎えることになる。

 

順を追って説明すると、彼が何故突然そんなことを言い出したかと言うと、ある日先輩に引きずられて無理矢理部室に連れて行かれたことに由来する。そこで彼は、生まれて初めてEbluesというものに出会った…らしい。

ブルースというのは、通称スリーコードと呼ばれるコードを12小節でスウィングのリズムで繰り返す。そしてその上で各パートがソロをとるのが一般的だ。つまり、この先、未だに恋い焦がれている”ジャムセッション”というのに繋がる。

これは端的に言い表わせば、伴奏(バッキング)の上でソロをとった人は自由に弾いていいのだ。バンドのコピーではない。自分のオリジナルのソロを弾いてよいのだ。これを一般的に”アドリブ”と呼ぶ。その場でソロを考えて弾くという方法だ。

今では当たり前だが、当時はかなり衝撃的であった。それはK君も同様だろう。

ここからぼくは、アドリブの世界に没頭していくことになる。

 

一番最初にやったアドリブは理論もわからずになんとなく合う音階をガチガチに決めていき、更にB君に監修してもらい、本番に挑んだ。しかし、この先自分でアドリブしていく上では必要不可欠な知識がある。

それは音楽をやっている人間なら誰もが知っているであろう”ペンタトニックスケール”だ。

これは、言うなれば、絶対的な音階。これを使ってある法則に則れば絶対にバッキングからはみ出ることない(不協和音にならない)音階だ。つまり、この音階さえ弾いていれば如何なる伴奏(バッキング)にでもソロを合わせられる。そしてその”ある法則”とは、キーである音さえ合わせられれば、ということである。

もうこの辺は説明が大変なので省くが、ようはペンタトニックスケールさえ抑えておけばアドリブで間違えることが無くなるのだ!

この知識を仕入れたぼくは、K君と狂ったようにアドリブをしていた。2人でサークルのライブに出る時は、ほぼ必ずアドリブの時間を設けた。

 

簡単な知識ではあるが、何故かサークルの人々は先輩も含めてアドリブに高いハードルを感じていた。そのため、その知識を2年生で手に居入れたぼくは少し、いや、かなり天狗になっていた。段々とコピーバンドも手を抜き始め、本来の曲の本来のギターソロを弾かずに、自分でてきとうに弾いていた。

すると3年生の秋頃に先輩から物申された。

「ソロしょぼくね?」

おめえ…アドリブできねえくせに…俺にご意見するたあ良いご身分じゃねえか…と一瞬息巻いたが、先輩の意見はご尤もである。

だってプロのソロよりぼくのギターソロの方が良いなんてことはありえなくて、ボツにする意味は全く無い。むしろ、プロのギターソロがコピれなかったからアドリブしていただけだ。

そう、憧れて手に入れたアドリブの技術は、いつの間にか手を抜くための技術に成り下がっていたのだ。

ぼくは先輩に怒られて心底情けない気分になった。

…いいだろう、じゃあ、甘えきって過ごしていたぼくの技術じゃあ完コピはできないかもしれないが、コピーというのをしてやろうじゃねえか…

怒られた日の部室練の後、アパートに直帰して只管ギターソロを練習していたのを昨日のことのように覚えいてる。

 

ところで、先程うちのサークルではエレキギターが使えないという話を書いた。同時に、それに不満を覚えた、という話も書いた。それがこの時だ。

やっているのはバリバリなエレクトリックな曲。サークルでもドラムセットを使っており、ベースもウッドベースでなくエレキベースだ。しかしギターはアコースティックギターを使わなければならない…

おい!!!!!!!おい!!!!!!!!!!!1

ベースとドラムは曲のコピーをしていて楽しいだろう!しかし!我々ギター陣は、エレキギターのコピーをアコースティックギターで行わなければならないのだ!ハンデだ!ハンデしかなかろう!しかもぼくに異議を唱えた先輩はベースだ!おい!!!!!!!!おい!!!!!!!!!!!

ここから3年間、ぼくはギターに対してのクオリティを求める声にただただ苛立ちを覚える日々を過ごすことになる。

しかし、ぼくが弾くのを辞めなかったのは過去に居た先輩たちを知っているからだ。彼らは文句を垂れつつもアコギを弾いていた。だが、彼らは非常に上手かった為にアコギでも十二分に様になっていたのだ。つまりここでエレキが弾けないからと投げやりになるのは可笑しい。先輩ができているんだからぼくにも出来るはずだ。と、自分がやっていることが、いつか実ると信じてギターを弾き続けていた…まぁ結構サボってはいたけど。

 

そこからギターもなんとなく弾けるようになってきた所で、また紆余曲折を経て嫌々ながらオリジナルソングを作ることになった。オリジナルソングということは、歌詞からコードから全て自分で考えなければいけない。ここでまた音楽理論の出番だ。

自ら買って出た役割ではなかったが、コード理論を学んでいく上で徐々にのめり込んでいくことになる。最初は代表的なダイアトニック・コードを使っていたが、段々とダイアトニック・コードから外れたコードが使いたくなってくる。或いは、同じコード進行内でメロディラインだけを変化させていく手法をとりたくなってくる。自作の音楽というのは沼だ。どれだけやっても満足しきることはないのだ。

 

そうしてなんだかんだ音楽理論を一般人並みに携えたぼくは、少し天狗になっていた。後輩ばかりになったサークルでも、俺は理論がわかるしアドリブだって弾ける、と完全に調子に乗っていた。

そんな感じだったが色々あって留年からの休学となり、地元に一時的に帰省する羽目になったぼくは、自信満々でブルースバーの門を叩いた。ブルースはK君が教えてくれたアドリブの影響で微量の知識があったのだ。

…そうして2017年でのブルースバーでの悪戦苦闘が始まったのだ……

このブログにて2017年はバイトの愚痴とブルースバーでの愚痴しか書いていないと思う。ブルースバーでの経験を手っ取り早く語るなら、コテンパンにしてやられたのだ。

天狗になって訪れたジャム・セッションで、ボッコボコにされたのだ。

ぼくにとってギターが上手い人というのは、当時先輩とB君しかいなかった。

しかしブルースバーの住民たちは次元が違った。素人のぼくでもわかる歴然の差。触ったことのないエレキギターが武器、ということも多少なりとも影響していたかもしれないが、それにしたって今まで培ってきた全ての理論も知識も何の役にも立たなかった。

なにより一番衝撃的だったのは、セッションにおいてギターソロなぞどうでもいい、ということだ。

 

正直、アドリブを勉強したあの日から、ずっとギターソロこそジャム・セッションあるいは楽曲そのものの命であると考えてきた。

しかし現実は違う。4人でバンド形式で音楽をやるならば、4人がそれぞれ頑張って楽曲を盛り上げる必要があるのだ。それこそが音楽を楽しむということなのだ。

ブルースバーで何度も言われたのは、バッキングを努力しろ、の一言。ぼくがどれだけエリック・クラプトンを真似たソロを持っていっても何の評価もされなかった。

そこからぼくは、ブルースにおいてのバッキングの手法、あるいは音楽におけるバッキングの重要性に気づいた。主役(ソロ)を盛り上げる脇役(バッキング)こそ技術が試されるのだ、と。

 

そして無事復学できたぼくは、サークルには顔も出さずにバイトと授業に明け暮れる日々であったが、どうしてもギターは手放せなかった。というより、ギターを手放すとやることが無くなるからな…無趣味というのは中々に悲しいものだ。

とは言え、2018年も有り難いことながら誰かと演奏する機会が度々あった。で、有り難いことに「上手くなったねぇ」とか褒めてもらうことも多々あった。いや、有り難くはないわ。お前より俺が上手いってのは3年以上前からわかってただろうが!靴舐めろ!

…というのは冗談だ。本当に有り難い話だ。

確かに努力はしてきたし理論も昔に比べれば何となく身についてきてはいるかもしれない。

しかし怠惰なぼくは、別に人智を超えた努力をしてきたわけじゃないし、血の滲むほどの情熱を注いできたわけでもないんだ。本当に人並み程度に楽器が触れるようになっただけだ。ぼくよりすごい人はいくらでもいるし、何よりぼくをヨイショしてる人間のほうが技術があるのが気に食わない。お前らの方が凄いんだよクソが。

 

…ずいぶん長い記事になってしまったが、今ぼくが思うのは、去年が、一昨年が、自分の最盛期だったとはどうしても言いたくない。この先誰かと弾くことはないかもしれないが、もしかしたらあるかもしれない。もし仮にそうなった時に「もう弾けねえやw」とか笑いながら言いたくないわ。

それになにより、凄かった先輩や同期と並べるようになりたい。これは現役の頃からずっと思っていることだ。彼らに同等に見なされたい。”初心者”という括りをいつか必ず卒業したい。

 

技術的な面で言えば、ソロ重視からバッキング重視に転換できたのは、ぼくの中で大きな心境の変化だ。これは楽曲を演る上で非常に重要なことである。…気づくのに時間がかかりすぎたが、気づかないよりはマシだろう…マシだよね?

 

いつか、いつかまたてめえらと弾く為に、そのために爪は研いでおこう。技術は錆びないように、心境はそのままに、持っていってやろう。

 

…ずいぶん最初に意図した記事と話題がズレてしまったが、ここらで〆としとこう。

さあてwwwwwwwwwwwwwyoutubeでも見るかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww