ぼくを憐れむうた

ここは ぐちの はかば

ここは ぐちの はかば


一難去ってまた一難乗り越えて

テスト地獄を終えて、

レポート地獄を乗り越えて、

詐欺被害に遭いつつ、

実家へ帰省したりしながら春を待っています。

ほんとに一難去ってまた一難な2月初頭でございました…

 

4月からは新学期が始まるわけですが、

その前に…

単位発表ォォォォォォッッ!!!!

 

今回、後期、はっきり言って授業に出た回数はと言うとかなり少なかった。

何があったか。

何もなかったです。

いつものハイパーサボタージュ癖で自主休講を何度かましたか覚えていません。

 

なので、1月段階でかなり焦っておりました。まあ1月に焦っても仕方ないんですけどねwいや、なにわろてんねん。

で、来たる2月。残すところテストのみなのにテスト情報がほとんど開示されていない授業がちらほら存在しており、正直諦めていたテストも数多くありました。

それに加えてレポート。4000字。しかも憲法について。ちなみにこの授業3回程度しか出席していませんでした。更に2000字のレポート。これもまた法学のレポートであり、法学に関する事について論文や文献を読んで批判的に述べなければならない代物。

諦め半分のテストに、他分野のクソ重いレポート。最早残り数日でどうにかなるものではない…

 

しかし家鳴り選手は諦めなかった!!!偉い!!!ど偉い!!!!!褒めて!!!!

 

まず語学のテストが一周早くあり、しかもその寸前で親がぶっ倒れて実家に帰らないといけないシーンがあったが、行き帰りの電車で異国語の呪文のように唱えて本番突破!次に英語は一夜漬け!

翌週は選択必修を捨てて、わけわからん専門科目を一夜漬け!教育学は半日漬け!突破!浅漬けでなんとかなるもんだ!

翌日の必修は中間ボコボコにされた経緯で多少勉強していたので、その予熱の知識で突破!予めテスト問題が提示されていたぬるゲーも突破!

翌日の基礎教養の理系科目は持ち込みありだと思ったら持ち込み不可で情報戦に敗北!絶望!

翌日は前日の一コマの痛みが酷く、更に4000字を羅列させるために一コマを捨て、レポート着手!8時間かけ完成!その後持ち込みありの二コマのみ参戦!げろむずい!絶望!

更にその後、レポートのみだと思ってい法学の授業に謎課題があることが発覚!ネットにアップロードされていた資料を参考にしようとしたら全部消されてて絶望!ググり散らかす!

そして肩で息をしながら半ば諦め半分に2000字のレポートをググりながら完成させる!6時間!完成!

 

と、怒涛の2週間を過ごした家鳴りなのでありました…疲れた…

 

その結果がどうやら数日前に発表されていたのですが…

テストを受けた科目は全て通っていました!

わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!

しかしこの喜びを分かち合う相手もいないので、ここで五月蝿くも静かに喜んでおきたいと思います。

ところで、この1年でとった単位数、ぼくが4年かけてとった単位数と同等なんですよねwウケるwまぁ、2年後期からはほぼ不登校だったので、実質1年半分の単位とも言えるのですが、とにかくこの1年は例年に比べてかなり単位を貪ったように思います。2018年度の後期が要だと思っていたので、どうにかなりそうか…

ただ、語学の単位だけが何故か行方不明なので、その行方を捜索したら本気で安心できますね…落ちてるわけないと思うが…

 

また来年度も大学生です!もう1年遊べるドンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwいやいや、笑い事ちゃうねんなぁ…

確か秋頃も書きましたが、どうにか卒業の圏内には滑り込んでいる。遥か昔に諦めた卒業の圏内に。モチベーションもくそもないが、どうにか這いつくばって生きていきたい…

で、来年度に卒業できるとしたら今回が最後の春休みであると思う。春が来れば春休みが来るっていう永久名誉学生のような考え方だったが、そう思うと感慨深いな…

来年の今頃はどんな気分なんだろう。きっと同じように一難去ってまた襲い来る一難に辟易しているんだろうなぁ…なんて花束が舞う2月の空に思いを馳せるのでした。

見つめ合うと素直にお喋りできない。

はじめに、連絡させていただきます。

先日詐欺にあった際に怒りのあまり作った曲を作り直しました。

良ければぼくの怨恨怨嗟を聞いてやってください。

 

ところで、最近マジで見つめ合うと素直にお喋りできない。

というか、最近マジで見つめ合わなくても上手にお喋りできない。

 

テストやらなんやらで非常に多忙で虚無的な時間を過ごしていた結果、この頃一切人と口をきいていなかった。ツイートキャスティングwで配信をアホみたいにしていたが、それも結局 VSテキスト な訳であり、喋っていると言うか読み上げていると言うか、通常の会話とは異なるわけだ。

昨日、ようやく最後のレポートのレポートが完成したが、改めて自由を与えられるとやることがない。厳密には、自由を与えられても金が無いからやることがないのだ。聞いてるか?詐欺師よ。

lonelyingstones.hatenablog.com

 

なので、こんな時はとりあえず精神疾患患者への理解を深めようと思って埃を被った本を読んでいたわけだが、なんとなく酒が飲みたくなって途中で本を閉じて酒を買ってきた。

で、書き出すと長くなるが簡潔に書き表すと、ギターがぶっ壊れてギター直してたらなんとなく寂しくなったので後輩に声をかけて酒を飲むことにした。

わけだが…

ぼく「えーっと…最近どう?」

後輩「あんまサークル参加してないっすねー!ちょっと前にインフルかかっちゃって…卒論とかも忙しくてゼミでも多忙なんですよね…あ、そういえばこの酒この前広島行ってきた時に買ってきたんですよ」

待て待て待て待て

今なんで俺が待てって言ったかわかるか?文字数が釣り合ってねえんだよばか!

こっちは書き出したら、最初のサウンドエフェクト抜くと4文字だぞ、お前何文字喋るんだよ論文書く気かばか!

あと情報量が多いんだばか!何?サークル?インフル?広島?卒論?イソガシクテゼミってなんだ?外来種セミか?ふざけんなや!

久しぶりに生の人間と口を利くと情報量の多さに腰を抜かしそうになった。

 

その後も特に弾む会話もなく日を回って解散になったわけだが…

 

…まずい。非常にまずい。もとからこんなもんだっけ?否、そんなことはなかったはずだ。いや…でも案外こんなもんだったかも…

にしてもひどい。会話が苦手になりすぎている。ここまで人間と会話をするってのは重労働なのか…一人相手にここまで苦戦するとは中々鈍ったものである。

 

で、何故ここまで焦っているかと言うと、もうすぐバイト先の送別会とかいうクソイベントがあるのだ。

正直日が近づく度に行きたくないゲージが跳ね上がっていってるのだが、先日店長に出席を確認された際に、愚かにも出席を宣言してしまったのだ。

いやー…面と向かって聞いてくるのは汚くないか…あそこで誘いを跳ね除けられる精神というのが人生を左右するのかもしれない。

つまり、その送別会は恐らくクソほどつまらない。クソほどつまらないが、誰かと何かしら話していないといけない。一番クソみたいなパターンの飲み会だ。

2017年に勤めていたバイト先の飲み会ではハブられていたので基本的に隅の席で時折ニコッとしていればよかったのだが、今回はそうもいかない。しかも送別会ってのが厄介だ。明らかに主役がいるパターンってのが非常に面倒くさい。当日までに主役が事故ってくれりゃ話が早いんだが。

 

最近やっているツイートキャスティングでは、基本的にぼくが一方的に喋り散らかすパターンが多い。というかそれしかない。お便りが来ないラジオみたいなもんだ。

だが、実際の会話というのはそうもいかない。上でも実際の会話とは異なると書いたが、実際の会話ではノータイムで相手からのリアクションが返ってくる。それは具体的なレスポンスだったり相槌であったり表情であってもそうだ。それを考えて話すということを忘れてしまっているのかもしれない。

かと言って、打開策もない。可哀相なぼくには、こういう時に話し相手になってくれる人もいないのだ。

その上、なんだか人とコミュニケーションをとるのが億劫になってきた今日このごろである。もう兎に角面倒くさい。人と喋るのが嫌だ。上手く喋れないから嫌なのか、嫌だから上手く喋れないのかわからないが面倒くさい。あー拳で語り合いてえ笑

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああどどどどどどどどどどどどどどどどどdっどおおしよおおおおおおおおおおおおおおおお!?!??!

 

次回、家鳴り!飲み屋で居辛すぎて吐く!の巻!お楽しみに!

syamuに見るコンテンツの一生

 syamuという大物youtuberがいる。

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またの名を「貝塚勃起土竜」「劣ってみた」「まぬけ」…etc

様々な異名をとるこの男は、2010年から実況動画などを作成し2014年頃まで活動していたyoutuberであるが、彼の一見不可解な奇妙な言動が取り上げられ一躍有名になった人物である。

 

ところで、オワコンという言葉がある。

これは「終わったコンテンツ」の略である。

これも一時期流行した言葉であるが、確かにコンテンツというのは生き長らえることはあれど、それが永遠に続くことはない。栄枯盛衰は世の常であり、栄えたものはいずれ衰退する運命なのだ。

 

syamuが人気になったきっかけは、ニコニコへの転載がその始まりと言われており、別のyoutuber「たれぞう」がコンテンツとして衰退し始めた為に新しいおもちゃとして発見されたという形であろう。

ここで大切なのはsyamuはどういった形で有名になったか、ということである。

当時は確実に「youtuberのヤベェ奴」としてピックアップされており、その奇っ怪な言動や、自己中心的であり自意識過剰な思考が面白がられていた、というのが大きな理由であり、更にざっくりと言えば、彼の幼稚な考え方と言動を馬鹿にして遊んでいたのである。

つまり、ここは非常に強調したい部分であるが、syamuが面白いのではなく、syamuを取り上げてsyamuで遊んでいたから面白かったのだ。言ってしまえば、syamuの動画を一人で見た所で面白いことなどなにもないのだ。

これは他の配信者にも言えることだが、ニコニコ等に置いては動画そのものの面白さに加えて、それを何倍にも増幅させるコメントという機能があり、それらのおかげで面白くなっていた動画やコンテンツというのは山のように存在する。

しかし後からそれを知った人間というのは、コメントでの面白さも含めて本人の面白さだと勘違いしている場合が非常に多い。

 

ここでsyamuの話題に戻すと、最近の人々はsyamu自体が面白いと勘違いしているのだ。syamuを幼稚な人間として取り上げて、その幼稚な言動を嘲笑って楽しんでいた側からすると今の環境は奇妙で仕方がないのである。

 

少し話が変わるが、コミュニティの一生というものがある。これは元2chの管理人のひろゆき氏の発言であるが、

初期:面白い人が面白いことを書く

中期:面白くない人が面白いものを見に来る

終末期:面白くない人が面白くないものを書き始める

 というものがある。これは雑談系のコミュニティを風刺的に捉えたものだが、ここから派生したもの含め、コンテンツの一生になぞらえることもできると考えられる。

昨今出回っているコピペはこちらだ。

面白い人が面白いことをする

面白いから凡人が集まってくる

住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める

面白い人が見切りをつけて居なくなる

残った凡人が面白くないことをする

面白くないので皆居なくなる

このコピペは秀逸で、ネット環境にに限らずとも、ありとあらゆるコミュニティやコンテンツに関して当てはまるように思える。

そしてこれをsyamuブームに当てはめるならば、ここでの”面白い人”というのはsyamu本人ではなくsyamuを取り上げて動画作成やスレを立てた人々のことであると捉えるのは些細な点ではあるが重要な点でもある。

先に述べた「オワコン」という言葉があるが、これを上のコピペに当てはめるならば、「残った凡人が面白くないことをする」という部分に該当するだろう。

 

そして正に今のsyamuを取り巻く環境は、syamuブームが成熟しきった頃にsyamuを知った後発組ばかりが騒ぎ立てているだけにすぎないのである。

そもそもの問題点として、syamu本人が活動を再開した、というのを喜んでいる時点で本来の楽しみ方とズレている。というのは、syamuは無自覚であれだけ傍若無人な振る舞いをしていたからこそ面白かったのであって、味をしめた彼が当時の自分の真似事をしても所詮贋作だ。それをどうして蛇足と言わずにいられようか。

「syamuのことを好き」と自称している輩はsyamuが、上述した「コメント等の他の作用があってこその面白さ」であったことを理解しておらず、syamu=面白いものという完全に思考停止した考え方しかできていない。何故面白かったのか、ということを考えれば、今の状態が不自然であり尚且、蛇足の域を逸しない結果しか残せないという答えを出すのは容易ではないだろうか。

 

とは言え、日本人は流行に流されやすい生き物だ。隣の人間が右を向いていたら右を向いてしまう生き物である。更に近年は使い古されたコンテンツを更に使い回し、身内感を持つことでしか物事を楽しむことができないように見える。ひいては、自分の言葉を失い、誰かの言葉を引用することでしか面白いことが言えない人々が増えているように思える。

彼らは自分が何に興味があるか、というよりも、他人が何に興味があるか、もしくは何を面白いと思うのかという他者の考えに倣うことしか考えられず、その結果、自分の思考を放棄して他人に依存してしまっている。

そんな彼らに何を言ったって無駄だ。

ただただ数年前のネタが延々と劣化してタイムラインを流れていくだろう。

自分が飽き性というのを踏まえても、新しいものを開拓せずに、飽きもせず先人のネタを延々と使い続けるスタンスというのには辟易する。

ネットには誰でも使いやすいテンプレート化したコンテンツが蔓延し過ぎてしまったのかもしれない。確かに考えてみれば、黎明期に比べてコンテンツは飽和状態であろう。

そう思えばこういった現状に陥るのも無理もないのかもしれない。

 

曲がりなりにも好きであったコンテンツであった。そんなものがが死んでいくのは何度目であろうか。終わらせるところを無理に延命処置をして見るに堪えない姿にさせられたのは何度目であろうか。

何事にも当てはまるが、衰えすらをも楽しむことがコンテンツの楽しみ方であると思う。例えばアニメの2クール目を期待するのも、展望があればこそだ。好きだから延々と続いて欲しいと思うのは本人のエゴであり、コンテンツ本来の在り方を無視している。

昔からではあるが、それを理解しない人々は順当に行けば綺麗に終わっていたはずであろうものを弄くり回して滅茶苦茶にして楽しんでいる。そこに一体何があるのだろうか。

やはりコミュニティやコンテンツの一生というのはいつだって無粋な者に荒らされて終わりゆくのだ。逆を言えば、綺麗な終わり方ができたらそれは至極幸せなことなのだと痛感させられる。

syamuの騒動を見ていると、改めてそんなことを考えさせられるのだ。