無感動な夕暮れなんか見たくなああぁぁぁあぁぁぁい!!!
さて、このタイトルの下書きがこれで3つ目なのでそろそろ書き上げようと思う。
どうしようもない曲ってのはやっぱり心地よい。
何故かと問われても困るけどとにかく心地が良いものだ。
フジファブリックの茜色の夕日や、ユニコーンのすばらしい日々ってのは、ぼくが心底好きな曲で何度も聞いている。2つともどうしようもない気持ちが曲に乗っている。
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かつて、くるりの東京が好きって記事を書いたが、もちろん東京も上記の2曲に加わるくらい好きだ。
しかし、ミディアムバラードというのは前も書いたが名曲になりやすい。
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やはりテンポってのは曲の骨組みであり、そこをしっかり組み立てる時点で曲の感じなんてのは大体決まるってもんだ。
だが、タイトルの歌詞が出てくる"さっきの女の子"という曲はだいぶアップテンポの曲になっている。
メジャーのコード進行の上で投げやりな歌声が響く、そんな曲だ。
明るいとまでは言えないものの、ネガティブな歌詞を乗せるには似合わないように思える所にネガティブな歌詞を放り込む。
特に、前半では
くだらない話に夢中になるなよ
と強がったことを歌っているのに、最後は
さっきの女の子、可愛かったな
くだらないことばっかり考えたいかなあ
と歌っている。
そんなもんだよね。どんだけ真面目に生きてこうとしたって、どうしてもよそ見しちゃうし寄り道しちゃうもんだ。そんな人間臭い歌詞にすごくセンスを感じる。
そんな強がりの歌だって勝手に思ってる。
違う解釈も色々あるだろうけど、歌詞の節々からダメな現状から抜け出そうとしつつも、それでもやっぱり結局ぐうたらしてしまう、ってな感じの様子が滲み出てる気がする。
でも強がるのもきっと良いものな気がする。
だから、ぐうたらしてしまう日にこの曲を思い出すと、なんかしなきゃなって思えてくる。つっても服着替えたり、学校行ったり、バイト行ったりする程度だけどね。それでも無感動な夕暮れじゃなくなるんだよ。
やはりぼくは音楽に救われている部分が多いなあ、なんて改めて思ったのでした。
…
という記事を書くために1ヶ月くらい書いては放置してを繰り返していたのだと思うと、文章の構成能力が非常に乏しいなんてことも改めて思ったのでした…