ぼくを憐れむうた

ぼくを憐れむうた

日々の雑記や音楽のお話

ここは ぐちの はかば


それでも君は笑い続ける

何事もなかったような顔してェェェェエェェェェェェエ!!!!!!!!!!!!

 

皆様御機嫌よう。明後日が引っ越しなのに部屋が全く片付いていない家鳴りんです。

 

さて、私はこの度何年通ったかわからない大学を卒業いたしまして、地元に戻ることになりました。

それに際しまして、一応大学付近に住んでいる人々にお礼参りをしようと2月上旬から企んでおりましたが、それがつい先日終了致しました。

 

先輩と同期と後輩、それぞれがまだ大学の近くに住んでいる人々がいて、復学前も復学後も大変お世話になったのです。

というのも、やはり留年を続けたツケとして大学内に知り合いはいなくなってゆくわけで、そうなると私生活がすべてひとりぼっちなんですよね。

そういった中で、皆さんが予定を工面してくれてぼくに会ってくれることでぼくは本当の意味での孤独を回避できたわけです。

重ね重ねになりますが、本当にありがとうございました。と、ここで言っても本人らには伝わらないわけだがw

 

少し話が変わりますが、ぼくの地元から大学までは新幹線を使って1時間半、在来線を使えば3時間ちょいかかります。

つまり彼らに原付で会いにいける距離ではなくなってしまうのです。車でもしんどい距離。

ぼくもきっとお金に余裕がない生活を送ることになるし、何より忙しくなると思うので頻繁に大学付近に遊びに来ることはできません。

会おうと思えば会えた人々が本当に本当に遠くなっていきます。

物理的な距離の離れようはもはやどうしようもないのですが、それでもやっぱり寂しいわけで。

 

という話をお礼参りの度に、思わず口から零していました。

 

「まぁ、でも鈍行で3時間でしょ?」

 

先輩は首を傾げながらそう言う。

そう言えば、先輩が卒業したときも、ぼくはベランダで先愚図りながらその先輩にもう中々会えないと嘆いていた。

先輩は県内だからそんなことはないと笑っていたっけな。

 

結果論ではあるけど、紆余曲折を経て結局なんとか会えている。

他の先輩たちもそうである。大学からいなくなることを酷く悲しんだ別ればかりだったが、仲の良い先輩たちとは年に何度も会えている。

 

「まぁ中間地点あたりで手を打とうや」

 

とは言え、と言いかけるぼくを抑制するように先輩は煙草をふかしながら笑っていた。

 

 

「色々ありがとうございました」

 

また別の日、その日飲んでいた後輩との別れ際にお礼を言った。彼には本当にお世話になった。声をかければ飛んできてくれるし、生意気ではあるがぼくのことを気にかけてくれるちゃんと芯の通ったいい奴だったのだ。

 

「まぁ、でも、これで終わりじゃないですからねぇ…」

 

したり顔で後輩はニヤリと笑った。

 

 

また別の日に飲んだ後輩も

 

「いや、これで終わりじゃないですよ!」

 

と少し驚いた表情を見せた後、笑っていた。

 

 

先日スタジオに入った際に泊まっていった後輩とも別れの話になったが、

 

「そうなったら俺があいつを車にのっけてそっち行けばいいですね」

 

と当たり前のように言ってきた。

 

 

ぼくが結構悲観的になっていても彼らは笑っていた。

どうにかなるさ、と。

人の出会いには意味がある、なんて言葉があるが、その真偽はさておいたとしてもあまり悲観的になる必要もないのかもしれない。

お互い汗をかいて働くことになるんだろうけど、まぁ、どうにかなるだろう。

 

友達に関してぼくは、

”久しぶりに会ったとしても昨日会ったかのように話せる”

ことが重要であると定義づけている。

 

であるならば、きっと彼らとは大丈夫な気がする。

先のことなんてわかりゃしないが、今は大丈夫だって思える。それで充分だ。

 

ろくでもない人間に対してここまで言ってくれる人間は中々いないだろう。この感謝の気持ちを言葉じゃ言い表せないけど、本当に、ただただ嬉しい。

だから、来年も、どうかよろしくね。