連載小説『右腕を持ってかれた』家鳴り(2020)
あらすじ
卒論を提出し終えた家鳴りを次に待ち受けていたのは就活であった。しかし、就活は大敗。努力の甲斐虚しく、結局アルバイトから社員登用を目指す道しか開けなかった…だが、どうにか愛しのレイラに逢うために西へと歩を進めたかった家鳴りはこれを承諾。
かくして、来る2月末を引っ越し期日としてその日まで悶々と暮らす日々が始まったのであった。
第一章 なにもない日
丁度、時計の針が天辺を指す頃にもぞもぞと部屋の布団が動き出す。
そう、彼が家鳴りである。
彼は眠気眼のままスマートフォンを手に取れば、日課である天気予報をアプリを開いた。
「晴れ…のち…曇…」
彼はそう呟けば粗暴にスクロールして、すぐにアプリを閉じてスマートフォンをベッドへ投げ捨てた。そう彼は天気予報になど興味がないのである。
12月末段階のシフト提出時点で就活が難航することは既に予想しており、就活のために平日は尽くバイトを休みにしていた彼は、火曜から金曜まで実に4連休。しかし親のツテを頼った結果、アルバイト勤務が決まってしまったので、やることが何もなくなってしまったのだ。
とは言え金も無く友達もいない彼は暇はあれどやることが何もない。勿論、外へ出る用事などもってのほか…ルーティーンとして天気予報を確認しているだけで、その中身など実はどうでもよいのだ。
彼はため息をついて起き上がると、慌ててエアコンをつけた。
そう、彼は寒がりなのである。
12月の生まれとはとても思えない程度には寒がりだ。しかし何故か服を着るのを嫌っており、部屋の中では可能な限りの薄着をしたがる。そのため彼の生活はエアコンの起動音と共に始まることが多い。
布団から起き上がれば震えながら電気ケトルの電源を入れ、煙草に火をつけ、珈琲の準備をする。お湯が沸くまでにパソコンを起動させ、youtubeで一番最初に目に入った動画を再生する。
そう、彼はネット中毒なのである。
この洗練されたようにすら見える一連の動きは、ここ数年の朝の動きとしてルーティーンとして刻まれている。お洒落から程遠い日課ではあるが、彼が生きていくためには必要な所業なのだ。
余談ではあるが、家鳴りの住む部屋はどうやらアンペアの規程が非常に低く設定されており、ケトルとエアコンでブレーカーが落ちる仕様になっている。ブレーカーが一度落ちるとエアコンがバグり、一定時間使用不能になるというデバフがかかる。低い家賃故の障害である。
動画が流れ始めてしばらくすれば、お湯が湧いた合図の無機質な音が部屋に響く。家鳴りはため息を付いて珈琲を入れ始めた。
形あるものはいずれなくなる。その法則に則って煙草が燃え尽きた頃に珈琲もなくなった。すると家鳴りは、またため息をつきながらケトルの電源を入れる。
そう、彼はカフェイン中毒なのである。
果たしてこれから何杯珈琲を飲むつもりなのだろう。死ぬまでに飲んだ珈琲の総量は琵琶湖の容積を越してしまうのではないだろうか。そんな量飲んで人間は生きていられるのだろうか。早く死ねばいいのに。
余談ではあるが、フェルミ研究所にてカフェインはドラッグにも負けずとも劣らない性能があるといった描写がされていたが、飲めど暮せど一度も家鳴りはカフェインでキマったことがない。彼が珈琲を飲む時はため息もセットなのだ。
ようやく寝起きの一服が終われば、彼は再び立ち上がった。
余談ではあるが、家鳴りの部屋には座椅子しか存在しておらず、基本的に座って生活している。寝転がる習性がないのは辛うじて褒められるだろうが、逆を言えば座ったまま動かないということ。つまり部屋の中で彼が立ち上がるということは、よほどの何か重要なイベントが発生しているということになる。
「あ゛あ゛ァッッ!」
おおよそ人の言葉とは似つかない音が部屋に静かにこだました。彼の視線の先には炊飯器。だが、釜に入っている米の量が少ない。
そう、彼は米がまだ充分炊飯器の中に残っていると勘違いしていたのである。
彼は貧困しているためやたらと自炊をしているが、彼が唯一嫌う自炊が寝起きの自炊だ。太陽も昇りきっているというのに、彼はこれを”朝食”と呼んでいるのが実にバカバカしい。ブランチと呼ぶにもお洒落すぎる。ここでは戒めとして寝起き底辺飯とでもしておこう。
話が逸れたが、つまり米が無いということは、彼が寝起きゴミクソ底辺飯にありつくためには米を炊くか、もしくは食糧を調達しに行かなければならないということだ。
「ぐ…ぐァッッ…」
その現実に直面して、家鳴りは生まれたてのゴジラのような音を立てて炊飯器の前で膝をついた。
余談ではあるが、筆者は先日初めてシン・ゴジラを鑑賞した。卒論で原発を取り上げていただけにゴジラが原発の暗喩のように感じてしまった。このようなレビューは他にも散見され、やはり世間の目というのは原発に対して非常にネガティブな感情を抱いているという印象を受ける。
とは言え、公的な発表ではどこでも原子力は安全とされている。実際にIAIEの基準を踏まえて原発の稼働に関して新規制を設けた上で再稼働の合否を決定しており、東日本大震災と同程度の災害が起きたとしても放射線の漏えいは起きないと想定している。
しかし、国民は反原発の意見が優勢であると言えるだろう。その原因はなんだろうか。筆者は国民の放射線への知識不足が原因なのではないだろうか、と推測する。
つまり、第二次世界大戦のあの日。8月の初頭。我が国にはきのこ雲が頭上高くまで登っ(中略)
ウィーン
自動ドアだけは誰しもを差別せずに迎い入れてくれる。家鳴りは寝起きゴミクソカス底辺飯にありつくためにコンビニへと足を運んでいた。
「アッ…アッ…」
真人間には彼が喘いでいるように、あるいは嗚咽しているように聞こえるかもしれないが、彼は彼なりに喋っている。彼はアップルパイを探しているのだ。
そう、彼はアップルパイ中毒なのである。
なぁにをかわいこぶってんだぶっ殺すぞという言葉が突き刺さる中毒であるが、彼が好きなものを外部から貶すことはできない。何故なら彼はアップルパイが好きな自分が好きなのではなくアップルパイそのものが心の底から好きなのである。
余談ではあるが、筆者は先日初めてパン屋のアップルパイを購入したが非常に美味であった。また食べたいと思った。
「あqwせdrftgyふじこlp;!?WWWWWWWwwwwwww」
惣菜パンコーナーの前で電車男世代の彼は絶句した。
そう売り切れである。
最寄りのコンビニが潰れて早幾年。彼がコンビニにたどり着くには一個遠いコンビニまで足を運ばなければならなくなってしまった。その距離は彼にとって、マルコが母を尋ねる距離と同等の価値があり、同等の労力がかかる。実際の数値などまやかしで、本当に大切なのは個々人にとっての心の距離であるわけだから、つまり彼はコンビニまで果てしない距離を歩いてきたことになるのだ。
それなのに売り切れ。彼の心は今にも引き裂けそうなほどズタズタになっていると形容するに相応しい状態だろう。
学が無い彼は、愛しのあの子にもイマイチ気持ちも伝えきれない。
「大切な瞬間に自分の気持ちを言い表すために勉学は必要なんだ」-Instagramの哲学者は勉学の必要性をそう説いたという。しかし怠惰な彼には気持ちを伝えられるだけの学など存在していないのだ。
彼はレイラに対しても、約束されない将来に対しても、もやもやしたような、鬱屈とした感情を懐きつつ、日々を過ごすしか無い。そんな彼でもきっと、朝食…失礼、ゲロゲロ寝起きゴミクソカス雑魚底辺飯にありつく権利くらいはあるはずなのである。
それでも目の前の惣菜パンコーナーにアップルパイはない。これを悲劇と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろうか。ああ哀れなり家鳴り。なりなり。彼は呆然と店内のユーセンを聞きながらコーナーの前で立ち尽くすしか無かった。
To be continued...