ぼくを憐れむうた

ぼくを憐れむうた

日々の雑記や音楽のお話

ここは ぐちの はかば


12がつ!

12月はビッグイベントがありますね!

 

クリスマス?のんのんw

ハッピーニューイヤー?お前ふざけてんのか?w

天皇誕生日?お前ボコボコにするから住所教えろ

 

家鳴りの誕生日である。

 

どうも、ありがとうございますwケーキ?あ、用意されてるんですか?wえぇー、いいのにwえ、ワイン?ぼくの誕生月の?wそんなそんな、やめてくださ

 

はい。

 

まあ、誕生日でした。あ、どうも。

で、面接でした。

で、ボロボロでした。

 

どうしても働きたい事業所の面接がボロボロでしたwもう笑ってくださいwぼくは8時間前くらいから笑っぱなしですw

 

で、紆余曲折を経て大学の同期とチラッと飲んできました。

 

ぼくは留年してるので、同期は既に社会人で、ぼくは未だに学生です。

やっぱり少し心苦しい部分があります。飲みに行っても高い代金は払えない。今日も大分奢ってもらいましたもん。

でも、それでも会えば、まるで昨日会ったかのように話ができました。お互いそこまで意識してないからかもしれませんが、それでも少なからず落ち目を感じてるぼくとしては有り難い話です。

 

話す内容は仕事の話とか、最近の生活の話とか、現役生だった頃とはまた違った現実味を帯びた話になってしまいますが、でも、まるで現役生の頃のようなテンションで話ができるのは本当に有難いんです。

 

昨日は随分マイナスな記事を投稿して非公開にしました。で、今日こんなことを書いてるから情緒不安定だと思われるかもしれません。

でも、多分同期はあまりぼくに固執していないだろうから、現状は昨日と大差はないんです。

それでも、ぼくに固執してくれてなくても、ぼくじゃなくて良くても、ぼくと話してくれるのは本当に有り難い話なのです。

 

友達なんていうぼんやりした定義は人それぞれだと思います。何をもって友達と呼ぶのか、そんなのは千差万別です。でも、ぼくには確固たる定義があります。

それは、久しぶりに会っても昨日会ったかのように話せる人、ということです。子供っぽい定義ですがこれに限ります。

人生は色々あって、そのほとんどが偶然で出来ていると思います。たまたま同じ学科やサークルで長期間過ごした人間とは仲良くなることになるもんです。

が、問題はその先で。

人間関係というのは集中治療室のように無数の管で繋がれており、徐々に使わない管から切り捨てられていきます。その管を繋ぎ止めるかどうかは本人に委ねられます。仮にその管を自分自身がつなぎ止めておきたくても、相手が拒絶すればそれは切断されます。

そうして繋がれては断たれる繰り返しです。でもその中から大切なものを選んで自分なりに大切にしておけば、きっとその管は途絶えることなく細々と続いていくのではないでしょうか。

 

ぼくは偶に会えて、それでいて昨日会ったかのように話せれば、それで満足です。しょっちゅう連絡をとりたい欲求もありません。年に数回会えればそれで。

他人から見れば淡白な人間関係に見えるかもしれませんが、ぼくにとってはそれでも大切な関係です。

そして、ぼくにほそんな関係の人が居るみたいです。本当に幸せなことではありませんか。

 

生活は相変わらず上手くいきません。内定は無いままで、今日の面接も上手くいきませんでした。

でも、まぁ、頑張ろうかなって思えるのは、まるで昨日会ったかのような人々がいるからなんだと思います。本当に辛い出来事も、少しのお酒と愚痴で昨日に置いて行けます。

 

会う機会は現役生の頃からかなり減りました。原付で数分の距離では無くなってしまいました。ぼくは子供っぽいので本当に地団駄踏みたいくらい嫌なことだったんです。

それでも、きっとこれからも生きていれば何度も会えると思います。同じ国に住んでるし、現に籍を置いているわけだし。

悲観ばかりしていても仕方がないので、まあ、また飲める日のことを待ち望んで生きていこうと思おます。今日は本当にありがとうございました。ってここで言っても届かないけどね。それくらいが丁度いいんだと思います。

 

まあ、内定があればどれもこれも解決すんだけどな!!!!!!!!!!!!