ぼくを憐れむうた

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日々の雑記や音楽のお話

ここは ぐちの はかば


炒飯学会レポート~炒飯は人生を救う~編

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炒飯とは?

チャーハン(炒飯)は、炊きあがった米飯を様々な具材と共にで炒めた料理である。(Wikipediaより引用)

そう、米を炒めて具材と絡めるだけの超お手軽ファッキン料理だ。

 

しかし!!!!!!!!!!!!!!!!1

そのシンプルなプロセス故に炒飯に並々ならぬ情熱を注ぐ”””奴ら””””が後を絶たない。

これはそんな”奴ら”の中の1人である家鳴りの足跡とも言える目録であるー…(暗転)

 

大学に進学するために初めて一人暮らしを始める直前、ぼくは一人暮らしをする上で自炊が欠かせないと考えていた。

そこで親に尋ねる。

ぼく「何か料理を教えよ」

親「炒飯とかいいんじゃない?””””誰でも”””””作れるし」

ガキンッ

その時、歴史が動いたー…

 

そうして来る日に実家を出て念願の一人暮らしが始まった。

ぼくはなるべくして自炊を始めたわけだ。

初めて作った料理は今でも覚えている…

 

 

 

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そう、手羽元焼きだ。焼き加減もわからず半生で食ったのを覚えている。

二日目にはハンバーグを作った。焼き加減もわからず半生で食ったのを覚えている。

 

そうして月日は流れ焼き加減がわかってきた頃、授業にも出ずに金もなく暇を持て余していた雨の日に親の言葉を思い出した。

””””””””誰でも””””””””””作れる炒飯。

ふん…くだらん…くだらんが、金も無いし食材も大したものがない。

試しに作るか…”””炒飯”””をな…

そうしてフライパンを握ったぼくはフライパンを一度離してまな板を出して具材を切り始める。

てきとうに豚バラとネギあたりでいいだろう。あとは卵を…

卵を…

卵を…?

卵をどうしたらいいんだ…?

 

”やってみないとわからない”ということはこの世の常だ。大抵のことは机上の空論では上手く行かないと相場が決まっている。それは炒飯とて同じこと。

ぼくは震える手で卵を割ってフライパンに乗せた。

 

目玉焼きができた。

 

何が違う…ぼくは頭を抱えた…頭を抱えてそれから数年の時を経ることになる。

 

それから数年が経ち、流石に卵をとかすことを覚えたぼくはいつの間にか炒飯が得意料理になっていた。その理由はいたってSimpleである。

鶏ガラスープの素を発見したのだ。

これさえ入れてしまえば不味くする方が難しい。いわば料理の万能薬。原点にして頂点。つまりは料理界のアカムトルムみたいなものだ。

 

そうして炒飯を得意としたぼくは鶏ガラスープという覇竜の太牙を片手に後輩に炒飯の作り方を教えてあげようと思った。

 

ぼく「ぼく炒飯作るの上手いよ」

後輩A「いや俺も作れますよ」

先輩「まぁ俺も炒飯くらい作れるわw」

後輩B「ぼくも作れますよ!」

 

”誰でも作れる炒飯”…ふふふ…なるほど、こういうことか。

正確に言うならば”炒飯は誰にでも作れる”ではない。”炒飯は誰でも作れると勘違いしているファッキン勘違い野郎が世に蔓延っている”が正しいというわけだ。

OK。授業を開始しよう。もとい、蹂躙を開始しようじゃないか。息巻いたガキどもに”炒飯”を教えてやる。先輩は…すみません、ちょっと見ててください。

 

ぼく「ほう、じゃあ食材の確認からいこうか?」

後輩A「食材てwなんでもいけるんじゃないすか?肉と卵と…あとネギっすかね」

後輩B「ぼくは鶏肉使うなーやすいし」

 

まぁまぁいける口か。面白い。”論破(ヤ)”りがいがある。

 

ぼく「次、プロセスだ。まずはなにするね?」

後輩A「プロセスもなにも…米炊けたらフライパンに卵とかして入れて…米入れて混ぜて…」

後輩B「まず鶏肉を切って焼きます」

ぼく「は?後輩Bよ。卵はどこにいった」

後輩B「いや卵は最後でしょ」

後輩A「卵を米に混ぜてから炒めるのは邪道だぞw」

後輩B「?」

 

そう、彼が言うようにご飯と卵を混ぜてから投入するのは我々の業界だと”邪道”とされている。

 

ぼく「ほう、調味料はどこで何を入れるんだい?」

後輩A「まぁ塩コショウと…鶏ガラスープと…」

ぼく「!?!??!?!」

後輩B「??!?!??!」

 

こいつ…鶏ガラスープを…知っている…!?ぼくはその時稲妻が落ちたかのような衝撃を受けた。後輩Bもおどろいていた。

 

後輩B「ぼくはケチャップを入れます」

ぼく「!!!!!!!!!!!!」

 

ぼくはその時稲妻が落ちたかのような衝撃を受けた。こいつ1人だけオムライスを作ろうとしてないか?

場が一瞬凍りついた後に

先輩「お前作っとんのチキンライスやw」

というツッコミが入り、炒飯論争は有耶無耶になって終わってしまった。

場が和む中、ぼくは1人恐怖に戰いていた…鶏ガラスープの素使うのぼくだけだと思ってた…

 

それから暫くして、同期が卒業する頃、ぼくは留年が決まっていたので引っ越す同期から沢山餞別をもらった。

その中に香味ペーストという調味料が混ざっていた。

な、なんだこれ…

同期「それだけで炒飯とか作れるよ」

ぼく「は?炒飯ってそんな簡単に作っていいの?」

同期「いやいやw炒飯なんて残った食材で簡単に作るもんでしょw」

ぼくは何も言い返せずに香味ペーストを受け取った。

 

それから暫くして香味ペーストのことを思い出し、試しに炒飯を作ってみた。

すると…

 

…確かに旨い。こんな簡単に作れるものなのか…へぇ…あぁ、そうなの…

 

しかし何度もスプーンを口に運んでいくと徐々にモヤモヤとしてきた。

旨い。旨いが…

絶対に俺が作った方が旨い…ッッッ…!!!!

あのチビ同期は言ったよ。”炒飯なんて残った食材で簡単に作るもの”だと…言い放ったよ…

だがなぁ…シンプルな料理だからこそ…簡単に作っちゃ駄目なんだよ!!手を抜いては駄目なのである!!!手作りをクックドゥが越える日など来るはずもないのだ!!!!!

 

あれから年月は経ったが、ぼくは一度も自分で香味ペーストを買ったことがない。理由はいたってSimpleだ。炒飯くらいSimpleだ。

俺が作った方が絶対旨いからだよ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

しかし、何千回、何万回と炒飯を作ってきた中で最近揺るいできたものがある。

それは…

後輩Aが昔言っていた「卵を米に混ぜてから炒めるのは邪道だぞw」という理論がである。

長年炒飯学会では卵かけご飯にしてから炒めるのを禁忌とし、行えば学会追放は免れないほどの大罪であった。しかし近年、それが最も炒飯をパラパラにできるのではないか、という学派が優位に立ち始めている。

というのも、ただの卵かけご飯にするのではなく、卵かけご飯+マヨネーズを使用するといったものだ。詳しい原理は割愛させていただくが、そうすることによって米を一粒一粒マヨネーズ+卵でコーティングすることが可能であり、それによって米同士の”くっつき”を防止できるのではないか、という理論である。

 

禁忌である”先混ぜ”こそが炒飯の真髄”パラパラ”を最も忠実に行えるというのはなんとも皮肉な話である。

 

パラパラの炒飯というのは炒飯の完成形であり全てのチャーハニストの夢である。上述した私の体験談では文字数の都合上割愛したが、私自身も何度もそれに取り組んできた。

ある日はサラダ油を事前に混ぜてみたり、ある日は炊いた米を敢えてレンジでチンしてみたり、誰にも言ったことはないが卵かけご飯炒飯も実験したことがある。しかしそれらではどうにも上手くいかなかった。要はその決め手がマヨネーズだったわけだが。

 

だが卵かけマヨネーズ方式は大きな弱点がある。

それは卵をコーティングとして使用することによって、卵が具となることを許さないのだ。炒飯にありがちなスクランブルエッグを分解したような卵を炒飯に盛り込むことが出来なくなる。これは炒飯にとっては大きな損失であると言える。

じゃあ卵をもう一つ入れたらどうだ、という意見が上がるかもしれない。しかしこちとら卵かけご飯を作り、更にそこにマヨネーズを追加しているのだ。これ以上コレステロールを摂取できるのは高校生の運動部所属くらいなものだろう。自分の歳を考えてから発言し給え。

 

つまり、卵かけマヨネーズ方式にすれば具として卵を採用できない。一方、卵先入れ方式にすれば完全なパラパラが再現できない。というジレンマが生まれているのだ。

 

炒飯というのは実に面白い。シンプルな料理だからこそ様々な工夫が考えられる。近年提唱されている卵かけマヨネーズ方式も、誰かが考えあぐねた末の1つの結論なのだろう。

また、ここではあくまで理論的なことを述べたが、やはり料理には技術が必要だ。知識だけではどうにもならない。強火と弱火を使い分け、適切な量の調味料を投入しなければ成功するのは難しいであろう。その調味料の適切な量というのも、いちいち小さじ大さじを計っていてはいけない。そう考えると経験もまた1つ重要なファクターとなる。

 

話がまとまったところで今回の記事を終わらせていただきたいと思う。少し熱く強火で語ってしまったが、ぜひ様々な人に炒飯を作っていただき、なおかつ炒飯の事を好きになってほしい。作るだけなら誰でも作れる料理だ。まずは作っていただいて、自分の炒飯を食べてみて欲しい。そして足りないことを感じて欲しい。

冷凍炒飯で満足できない身体であって欲しい。お店の炒飯と同等のものを目指して欲しい。

やがていつかは、自分の炒飯が誰よりも一番だと言えるようになってほしい。それが事実であっても、事実じゃなくても、少なくとも自分だけは自分の炒飯を信用できるような、そんなチャーハニストであってほしい。そうすれば人生で少しつまずいた時、「でも俺が炒飯作ったら滅茶苦茶旨いしな」と乗り越えられるようになるから。

 

私からは以上です。ご清聴ありがとうございました。