ぼくを憐れむうた

ぼくを憐れむうた

日々の雑記や音楽のお話

ここは ぐちの はかば


くちびるに歌を

「きっかけはなんでもいいんじゃない?音楽に出会えたなら」

 

ギグバッグを初めて買ったのは大学一年生の時。別にギターが猛烈に弾きたかったわけじゃない。ただ、ギグバッグを背負って歩いている姿に憧れていただけだった。

そうしたらこの有様だ。きっかけはともあれ、音楽を弾くようになって、より音楽を聞くようになって音楽に助けられてきた。きっかけなんてどうでもいいのかもしれない。

 

先週あたりからやたら散財をしてしまい、バイトが無い日は特にやることもないので部屋に籠もってパソコンと睨めっこしている。時々俺が勝つ。

で、今日は授業をサボってあまりにも暇だったので、なんとなくGYAOのページに飛んでランキングを眺めていた。そこで目に入った「くちびるに歌を」という映画。2時間ちょいの作品だが、バイトも誰かとの約束もないので晩飯を作り終えてから見始めた。

 

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物語は、長崎のとある学校の音楽教師が妊娠して休職することになったが、顧問である合唱部の合唱コンクールが近いため、休職の間の部活を旧知の仲であるピアニストに任せるところから始まる。

当初は代打を任されたピアニストは一切やる気を見せず合唱部のメンバーは苛々が募っていきギクシャクしていたが、様々なハプニングやそれぞれの葛藤や事情が交差していって徐々に合唱コンクールへと歩みを揃えていく…というようなあらすじだ。

 

物語としては青春群像劇だ。しかし、爽やかなそこらの学園モノとは少し異なる。例えば、ひょんなことから合唱部に入部してしまった少年には自閉症の兄がおり、その兄の世話をしなければならない。合唱部の部長の少女には両親がいない。また、代打のピアニストは頑なにピアノを弾こうとせず、それには暗い理由がある。といったように、主要の人物たちにはどこかしら陰がある。

学園青春ストーリーのようなものは、ハプニングが起きて、それを皆で解決して友情が深まっていくというのがテンプレであるが、この映画の一番のポイントは”問題が解決しない”という点だ。つまり、上に書いたようにそれぞれ陰のあるバックボーンを持ちながらも、お互いが慰め合ったり励まし合うシーンは非常に少ない。ただただ、登場人物が視線を伏せるシーンが多々あったように思う。

思うに、主要キャラクターは悩みを抱えながらも、なんとか生きてしまえているのだ。割り切ることも落ち込むこともできず、ただただなんとか生きて行けていたのだと思う。

ここがなんとも素晴らしい。現実の問題はそう簡単に解決できるものではない。かと言って自殺する程でもない。ただただ辛い気持ちを引きずって生きていくんだ。

だが、それを音楽は和らげてくれる。

合唱コンクールがテーマの映画なので当然合唱が主軸にくるわけだが、彼女たちが合唱コンで歌うのはアンジェラ・アキの「手紙~拝啓 十五の君へ」

これが最高に映画の内容とマッチしているのだ。15歳には15歳の悩みや葛藤があり、30歳には30歳の悩みや葛藤がある。それぞれの悩みに重みの差なんてものは存在しない登場人物たちは各々にとって耐え難い苦悩を持っているのだ。

 

途中でピアノを頑なに拒んでいたピアニストが、思い悩んだ部員の少女にピアノを懇願されるシーンがある。ピアニストは一度断るわけだが、少女が部屋を出ていった後に意を決してついに弾き始める。それが屋上へ飛び出していった少女の耳に届く。少女は屋上で1人ピアノを聞きながら号泣していた。

辛い時に誰かに慰めてもらえば、それは心が安らぐだろう。だが、時にははっきりとした言葉じゃなくて抽象的な音楽が心に響くこともある。ぼく自身何度もそれは経験してきた。

上にも書いたが、中々登場人物たちは語り合わない。セリフの応酬もどこか遠回りだ。当たり前だ。心のうちはそう簡単に開けないし、開きたくもない。成長すれば成長するだけ悩みの数は増えていく。そんな事態に陥った時人に必要なものは、必ずしも慰めの言葉だけじゃないのかもしれない。

 

不意にこの映画を見てて思い出したことがある。

中学3年生の頃、学校の合唱コンクールがあった。クラス中白熱していたが、クラスに疎外感を感じていたぼくは平気で合唱の練習をすっぽかしていた。

ある日、いつものように気付かれないように校門を出ようとすると、丁度クラスの奴らが校門付近で合唱の練習をしていた。気まずいなーと感じながら校門を出ようとすると、後ろからクラスメイトが走ってきた。それに気づいたぼくも走って逃げようとしたが、50m8秒くらいだったぼくは数秒で追いつかれてリュックを思い切り掴まれた。

めっちゃ怒られるんだろうな、と思ったら、そいつはニヤニヤ笑って何も言わずぼくを他のクラスメイトが集まっている方へと引きずっていった。他の奴らも「家鳴り、ここ入れ」くらいしか言ってこなかった。

疎外感を感じていたぼくはそれがすごく助かった。特に説教してくるわけでもなく、無理矢理ではあったが輪の中にぼくを引きずり込んでくれた。

結局その後はちゃんと練習に参加して、河川敷の練習にもちゃんと参加して、クラス全体で優勝できた。

 

誰かの悩みを解決するなんてのは簡単には不可能だし、気持ちを共有するのも非常に難しい。でも、何気ないような事が誰かを助けられたりもする。ぼくはリュックを掴まれて、映画の少女はピアニストの演奏を聞いて。

少し話が変わるが、大学の後輩が教育実習で精神的に参っていてバンドの練習もまともにできなかった時、一番助けられたのはサークルの同期が飯に誘ってくれたことだと言っていた。

思い出してみれば、ぼくがサークル一年生だった頃に嫌なヤツにちょっかいを出されてサークルを辞めようか悩んでいた時に救われたのは、同期が突然川に行こうと誘ってくれた時だった。

ぼくは親と大げんかして首でも括ってやろうかという精神状態のときに、たまたまパソコンで聞いていたニコ生のソロギターで号泣したこともある。

高校で死ぬことばっか考えてた期間に、たまたま体育で隣にいた奴の冗談で死ぬほど笑って全部どうでもよくなったこともあった。

 

きっと人間はそんなもんなんだろう。誰かを救うのは時にすごく難しいが、時にすごく簡単だったりするのだろう。それで悩みが全て解決することはないけれど、せめて明日も生きていようと思うことはできる。

もしかしたらこれを読んでいるあなたの何気ない挙動が誰かを救っていることもあるかもしれない。もし、元気がない人が近くに居たら励ましの言葉よりも、飯に誘ってあげてくれ。ジョークを言ってやってくれ。歌を歌ってあげてくれ。それだけで救われる人もいるんだから。

 

ということで、映画のレビューのなり損ないの記事を終えます。

ぜひ、ここまで読んでくださった方がいるのなら「くちびるに歌を」を見てみてください。とっても面白いですよ。GYAOで7/27まで見れるみたいです。

gyao.yahoo.co.jp

 

作中一番印象に残ったのは、ピアニスト役である新垣結衣が部員のお腹をつつきながら「もっと力こめてみて」って言ってるシーンです。

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ俺もお腹つつかれてええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええそしたら明日も余裕で生きていけるのにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい