ぼくを憐れむうた

ぼくを憐れむうた

日々の雑記や音楽のお話

ここは ぐちの はかば


貧困

3月。桜も沈黙して春の足音すら聞こえなかった2019年3月中旬。ぼくは途方に暮れていた。

その理由は簡単だ。

びっくりするほど金が無かったのだ。

 

というのも、3月の給料は2月働いた分の金が入ってくる訳だが、2月は他の月に比べて日数も少ない上に学校のテストの関係であまり出勤していなかった。

そのおかげで3月に入ってきた給料が雀の涙。そのせいで俺も涙する結果となったわけだ。

 

それだけならまだしも、その前に卒業生と飲む機会が多々あり、金をばらまいていた。あの時のぼくはどうかしていたと思う。

「いやー、いいよいいよ!払うよ!」

そう言って何度財布を開閉させたことか。嵩張る飲み会が決め手となり、財布はすっからかん。かなりひもじい生活を強いられることになった。今思えば、二度と会うこともない奴らに何故投資していたのか…

 

しかし、弱音も吐いていられない。ぼくは極貧生活を決行することにした。

1番の生活費は間違いなく食費である。つまりこれさえ大幅に削減できれば来月まで生きていられると考えたわけだ。

 

大好きなお酒も買うのを禁じて、晩飯はゲロ安パスタにゲロ安パスタソースをかけて食う日々。マジでゲロゲロって感じだ。

もしぼくが小学生だったらあだ名は「ゲロゲロパスタマン」だっただろう。小学生じゃなくてよかった。成人しててよかった。友達がいなくてよかった。

 

そんな日々が続くと段々精神的にやられてくる。

具体的には家に帰りたくなくなってくる。

だって家に帰れば半強制的にゲロゲロパスタを食わなきゃいけない。

パスタ屋さんが存在するのは、人々はたまにパスタが食べたくなるからだ。そうだ。毎日パスタが食べたいサイコ野郎なんて居ないんだよ。

不味い訳じゃないが小麦粉しか食べることができない生活というのは楽器に似ている。どちらも、貧しい(まず、C)からだ。w。はぁ…

 

嫌々に家に帰ってパスタが嫌すぎてポップコーンで腹を満たす夜もあった。煙草の煙で腹を満たす夜もあった。パスタを食わなくていいなら、と腕を食べようかと思った夜もあった。

あなたは自分の腕を食べようと思ったことがありますか?どれだけ貧困していたか窺えるのではないでしょうか。

 

と、ここまでが数日前の下書きである。

つまり、給料日前のぼくの文章である。そして、今は、給料日後のぼくである!!!!

うわあああああああああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁい!!金だああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!久しぶりに見たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!ぼくの住んでる地域だけ貨幣が流通してないのかと思ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

という感じだ。

ごみ捨てを済ませ、後輩に貰った少量の米を炊いて、スーパーで米と豚汁と納豆を買ってきて炊いた。何故か知らないが米を炊くのをミスってベタベタになっていた。

これではゲロゲロパスタマンからベチャベチャライスマンになってしまうが、それでも、久々に嗜む炊きたての白米は声が出るほど美味かった。少し塩味だったのは春のせいか、涙のせいか。

 

今後は質素な暮らしをしていこう。誰からも蔑ろにされても誰を恨むこともなく生きていこう。ただただ日々を過ごせることは、間違いなく幸せだ。

暇な時はダラダラと。忙しい時あくせくして、ただの日はテキトーに。毎日、なんとかやっていける「幸せ」

チルダロドリゲスが、ハンバートハンバートがそう歌うように、日々はきっと幸せなのだ。

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辛いことや苦しいことが多くて恥をかくことも沢山あるが、でも、それでも、何とかやっていけるもんだ。それはきっと幸せなことだろう。

 

最近は反出生主義の発言がTwitterで散見される。子どもを持つことを推奨しないのが反出生主義者だが、そういった人々は自分が勝手に産み落とされたことにも少なからず腹を立てている。確かに頼んでもないのにこの世に生み出されて、生きてくことを強要されるのはなんだか理屈に合わない。

でもそれでもなんとなくでいいから日々を過ごせているのならきっと上出来だ。ぼくはそれを幸せに思うよ。

 

ということで、とりあえず極貧生活3月編は終わったわけだが、勝って兜の緒を締めよ、給料もろたら財布の緒を締めよというわけで、散財はしないように慎ましく生きていこう…

ついでに作ったゲロゲロパスタマンでお別れしたいと思います。