ぼくを憐れむうた

ぼくを憐れむうた

日々の雑記や音楽のお話

ここは ぐちの はかば


家鳴りさんは25歳で死ぬんですよね?!死んだ方がいいですよ!

ぼく「ん…ん?!

年末に後輩にこの台詞を吐かれた時、飲みかけのサワーをぶちこぼしそうになった。

彼は25と27を勘違いしていたらしい

 

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27歳で魅力的なアーティストが死んでいる。ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリンブライアン・ジョーンズカート・コバーン…など。このことから、ロックミュージシャンとして27歳で死ぬのは一種の呪いだったり誉だったりして"27クラブ"と呼ばれている…

 

いや、だからといってぼくが25やら27やらで死ぬ必要はないだろ……そんな「墓が無料急いで死ね」みたいな言い方されても…

 

blog.livedoor.jp

 

しかしまあ20歳になりたての頃は"どうせぼくは27で死ぬからな!"と嘯いていた。当時は長生きしても仕方ないと思っていたんだ。

まぁ今でもそれは思ってるけど、いざ27が近づくとすぐには死にたくなくなってくる。余命が近づくのはこんな感じか。

 

ただ、20も半ばに差し掛かり未だに大学に通っているのは中々辛い。先ほども校内を歩きながらふと、ちゃんと大学に通っていたら校内で今は亡きサークルの面々と相見えることもあったのかと虚しくなった。

でもね、当時のぼくは忙しかったんだ。

 

買ったばかりの原付を乗り回して、西へ東へと旅をしなけりゃいけなかったし、真冬の海で焼き鳥を作らなきゃいけなかったし、バケツプリンをガチバケツで作らなきゃいけなかったし、流しそうめん台を勝手に部室に設置したりしないといけなかった。

バカな大学生を少し超える馬鹿さ加減だ。

 

少し時が遡るが、高校の頃、クラス対抗のリレーメンバーの選抜をクラスで行なっていた。ぼくは足が遅かったので、せめてメンバーの選定を真面目にしていたのだが、最終的にジャンケンで決めてしまっていた。

名古屋まで自転車を漕いで行こう、という話が持ち上がった時は、夜中には出ようという話だったのに蓋を開けてみたら誰も行く気を無くしていて結局クラスメイトの部屋でダラダラしてた。

 

こういった経験から、ぼくは他人と何かくだらないことに全力で取り組むことに憧れながらも、そんなことを一緒にしてくれる人間なんていないと諦めきっていた。諦めきって大学に入ったわけだ。

そうしたらどうだ。ぼくよりくだらないことを思いつく奴らがいて、のっかっても途中で飽きることなくオチがつくまでやり抜く奴らがいた。

 

初めて原付による旅を終えた時は辛すぎて、大晦日に外で焼き鳥を作った時も辛すぎて、流しそうめんを竹から作った時も辛すぎて、とてもしんどかった。しかも人生において全くもってどうでもいい経験だ。

だが、ぼくは心底楽しかった。くだらないことに夢中になれたことが楽しかったのだ。

その結果が度重なる留年なんですけどね!w

 

でもねぇ、もし学内でサークルの面々と相見えていたら、大晦日に海で作る焼き鳥の味も、真夏に作る流しそうめん台の大変さも、ガチバケツから出てくるプリンの大きさも、知らなかったんだろう。

どれも誇れる経験でもないけど、大切な思い出です。少なくとも、ダーツやってバーに行ってるありきたりな一般大学生の"大学楽しかったぁ!!"とは濃度が違うわけです。

 

だけど、だけどね、いつまでも過去を懐かしんでいたくないなあ。そんなの酒飲んだ時だけでいいんだよ。

だからね、昔が懐かしいですね、戻りたいですね、なんて話はそこらへんに置いといて、

麻婆豆腐の作り方でバトろうや…………

 

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