ディスプレイに向かって喋り続けて早幾年…
随分前に書こうと思った記事だが、いよいよ意を決して書き記していこうと思う。
世の中にネット配信をしたことがある人間ってのは思ったより少ないのかもしれない。
ぼくはずっとインターネットに浸かってきた人種なので、配信に関しては一般人よりかは密接に接してきたように思う。
そう、始まりは小学生の頃、家に転がっていたマイク付きヘッドホンを手に入れたあの日からだ。
らじろぐ!
今はもはやサービスも停止しているサービスだが、その昔”らじろぐ”というものがあった。知る人ぞ知る…というか知らない人のが多いと思うが、要はツイキャスの映像を流せない仕様のものだと考えれば良いと思う。
そこで生まれて初めての配信をした。
それまでチャットに命を注いでいたぼくにとって、配信というのは非常に新鮮なものであった。自分の声が確かに届き、それに対するレスポンスが返ってくるなんて世界がひっくり返ったかのような衝撃を受けた。
とはいえ、所詮小学生。特に話すこともなくなりリスナーも全然いなかったのですぐに引退してしまった。これで辞めておけば…
ニコ生!
中学校を経て高校生になったぼくは重度のニコ厨だった。ニコニコ動画に常駐していたのだ。
しかし段々動画では物足りなくなってくる。リアルタイムの関係を築きたかったぼくはニコ生へと足を踏み入れ始めた。面白い配信がいっぱいある。当時ネトゲにもどっぷり浸かっていたぼくは片っ端からネトゲ配信を見ていた。
「ぼ、ぼくもやりたい!」
そう思うようになったのは、友達のいなかったぼくとしては自然の摂理ではなかろうか。
「では今日もウィザードリィオンラインやってきますよ!」
少し時が経てばしっかり配信を始めてしまっていた。ネトゲ配信。ありがちなやつだ。ありがちなやつのはずなのに…
何故か高校のクラスメートに身バレした。
流れるコメント。
「お前ニコ生やってたの?w」
「ウケるwwwwwww」
「skype来いよw」
あの時伝った冷や汗の感覚をぼくはまだ覚えている。
本気で翌日から不登校になろうか悩んだが、お腹を痛くしながら結局登校。
その結果、散々いじられた挙げ句に知り合いと配信を始めることになった。今でもよく虐められなかったなあと不思議に思う。
しかし段々ゲームの荒らし配信になり始めて配信自体が荒れ始めたので引退。ここで辞めておけば…
ねとらじ!
ねとらじ自体はニコ生と同時並行で始めており高校時代でやり尽くして卒業する頃にはすでに引退していた。
しかし大学入学後数年経ち、再びねとらじを起動させてしまった。そのこころは…
「ギター弾けるようになったし、これをどうにか活用したい…」
今でも時折やるが、レスアンカーで歌詞を決めて曲を作る…これを始めてしまったのだ。
すると当時物珍しかったらしく、アフィサイトが食いついてきた。何個ものアフィサイトにぼくの立てたスレがまとめられていく。
直後は優越感に浸っていた。ちょっと注目されている様が嬉しかったのだ。ラジオで曲を披露しつつ、録音した音源をスレに投下し続けた結果…
何故か大学の知り合いに身バレした。
突然鳴るLINE
後輩「これ…家鳴りさんですよね?(アフィのURL)」
ぼく「質問には答えられないが、もしこのことを口外することがあれば君を家ごと燃やす。いいね?」
あの時目の前の景色が歪みに歪んで立っていられなかったのをぼくはまだ覚えている。
次の日に部室に足を運んだら、別の後輩が嬉しそうにぼくの作った歌を口ずさんでいる。
あの馬鹿言いふらしやがった…
それ以上に広まることはなかったが、未だに度々ネタにされる程度には深い傷を負うことになった。
ところで
ここまではぼくの経験談になってしまったが、今日ぼくが言いたいのは「身バレって怖いよね」ってことじゃないのだ。
「喋るのって難しいよね」ってことだ。
最近度々ツイートキャストをしているのだが、やはりネット越しに喋るというのは難しい。
度々配信で痛い目を見てるのに出てくる感想がこれか、と考えると笑えるが実際そうなのだ。
クラスメートと話す時、大学の知り合いと話す時、バイト仲間と話す時、それぞれ内輪ネタというものが存在する。つまり外部の人間にはわからない話のネタだ。逆に言えばコミュニティに所属している人間だからこそわかる話のネタ。これは雑談をする上で非常に役立つものだ。
しかし、ネットで雑談を配信しようと思うと内輪ネタというものは基本的に存在しない。なぜなら誰か特定の人と話すわけでもなく、しかも匿名性が高い状態で配信をすればお互いの素性すら明らかではない状態でやり取りすることになる。内輪ネタなんて配信し始めの状態では存在していないのだ。
そういった状況下で話を紡ぐというのは難しい。そもそも話をし続けるというのは難しい。話すネタが尽きたら次のネタを探さないといけない。
やっぱりラジオのパーソナリティってのはすごいなぁ…
…とは、ならない。
ここを非常に強調したいのだが、本業のパーソナリティにねとらじをやらせたら悲鳴をあげると思う。
なぜなら彼らはリスナーにかなり頼っているからだ。つまりおハガキに、だ。
もちろんパーソナリティが面白いことを言える人でなければラジオが成り立たないというのは当然ではあるが、それもこれも”お便り”または”おハガキ”ありきのものでもある。
しかし素人の雑談配信なんてのを聞きに来る物好きというのは非常に少ない。その時点でリスナーがかなり限定されているということだ。
つまりプロのパーソナリティにネット配信をやらせた所で恐らく難しいだろうということ。普段番組へのお便りを頼りに(たよりだけに!w)番組を作っているわけで、独り言の延長線上ではなく、雑談の延長線上として番組を成り立たせているからだ。
もちろんそれもすごいことではあるが、ネットの配信だとレスポンスがない場合は独り言の延長線上として展開してく必要がある。
こう考えると、ネットの配信というのはブログの執筆に多少なりとも似ているものがあるのかもしれない。
ブログもようは独り言の延長線であり、書いている途中にレスポンスがあることはありえない。独りで考えて独りで文字を吐き出していかないといけない。
それに多少なりとも文章に面白みを持たせることも必要になってくる…
わけだが…一体面白い喋りや面白い文章を紡ぐことができる人種はどこで学んだんでしょう?ねとらじ専門学校やブログ短期大学があるわけでもないし、ほぼすべての人々はこれらのことを独学でやっているはず。
意味がわからん
確かに人気がある人=面白い となるわけではないかもしれないが、面白い人がいるってのは事実なのだ。
どこで学んだん?ネタ帳とかつくってんの?てか何処住み?LINEやってる?w
ぜひご教授願いたいところではあります…
エンターテインメントの難しさと身バレの怖さを日々痛感するばかりの家鳴りんでした。