「雑誌読みながら音楽聞きながらテレビ見ながらゲームしてた笑」
タイトルは昔の知り合いの戯言です。
ところでさっきの記事は、昨日か一昨日に寝ながら書いたものを今投稿したしたものとなっていて、
今ベッドに寝転がりながら、借りてきた映画を垂れ流しつつ、若干訂正し投稿したわけだけど…
え、ちょっと待ってwwwwwwwwwwww無理wwwwwwwwwwww映画耳障りでうっといんだけどwwwwwwwwwwww無理wwwwwwww(クソ喪女定型文)
お前全部処理できてんの?!
ここでタイトルに戻るわけで、ながら作業をしてる人って全てを処理出来てんの???!!!
まあ「音楽聞く+α」くらいなら大丈夫でしょう。だけどそれが「映画」だったり「テレビ」だったりしたら、それって要るの???仮に作業が文章を書くものだったとして、文章を頭の中で組み立てながら人の会話って聞き取れてるの?!
その昔、聖徳太子が10人の会話を同時に聞いてたって話は有名だけど、聖徳太子だってブログ書きながら10人と会話してたわけじゃない。
つまり、作業しながら会話をしたり聞けたり、もしくは他のことをできる人は太子を超えてるってわけだ。
しかも世の中には「さぎょイプ」というものがある。これは、作業をしながらSkypeというアプリケーションで通話サービスを利用することを指すわけだが…器用すぎるだろ。そしてこの文化はネットの一部よりはみ出て、ずいぶん蔓延してるような気もする。つまり太子超えがごろごろ存在しているわけだ。
ながらをしようとする姿勢
平成も29年を迎え、車はしばらく空を飛ぶ予定はなさそう(ヒトリノ夜/ポルノグラフィティ)ではあるものの、文明の進歩には目を見張るものがある。便利な世の中になって行くにつれ、失われるものも多いと嘆かれる昨今だが、人々も何かを失いながら身につけてきている能力もあるわけかもしれない。
そのひとつが「ながら作業」。しかも時には通話しながら作業しながら音楽を聞く猛者だっているらしい。もう太子もビックリだ。ぼくだってビックリだ。
もうこの際、「ながら作業」時に全ての作業が潤滑に進んでいるかどうかなんてどうでもいい。それだけの作業を同時にこなそうとするその精神に、ぼくは敬意を表そう。
いつだって時代を動かしてきたのはハングリーな奴らだ。お腹が空いてる奴らじゃない。欲に忠実な奴らって意味だ。そういう意味では「ながら作業」なんてハングリーの塊だ。ハングリーマンだよ君たちは。
だってさあ!!!!!!後からにすればいいじゃん!!!!!会話したいなら作業終わってからにすればいいじゃん!!!!!なんで同時にやろうとすんの?????なんで雑誌読みながら音楽聞きながらテレビ見ながらゲームしようとすんの??????一個一個順番でよくないか????あ????”笑”じゃねーよこら?????馬鹿なのか?????
ふふ、怒ってはいませんよ。少しエキサイトしただけで、本当に尊敬しているのです。ぼくはブログ書く際に、パソコンから流れていた映画の音声だけで音をあげているクソ雑魚ファックマンなわけですからね。足元にも及びません。
ということで、少し長くなってしまいましたがこれにて「ながら作業」の考察を終わりたいと思います。ではお別れは先ほどのあの曲で。さようなら。