ぼくを憐れむうた

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日々の雑記や音楽のお話

ここは ぐちの はかば


知らない人のうんこと近況とそれから僕

こんな記事を随分前に見た。

 

31歳にしてうんこを漏らしました

http://www.nakamurahiroki.com/2010/04/31.html

 

すごいと思う。

というのは、うんこを漏らしたのがすごいんじゃなくて、うんこを漏らしたことはできれば報告したくないことだし、報告したって1行で済む話をここまで面白おかしく広げられる文才がすごいと思う。

 

人間、何か嫌なことがあったら愚痴りたくなったり悪態を吐きたくなったりするもの。

だけど、そういった悪態や愚痴を少しでも面白いものに変えてアウトプットできたら、その話を聞く相手もエンターテインメントとして楽しめる。

僕もできる限りそうしたいものだし、生活して人と話す上でもそうするように心がけてきた。

 

けど、ここで気づく。僕の場合は友達がいないこの状況、僕の話を聞いてくれる人は誰もいないではないか。

卒業して行った友人も後輩も、大学を去れば友人と会うことがなくなり寂しいなどと言っていたが、僕には無関係なことだと思っていた。私生活ではもちろん知り合いなんている訳ないが、インターネッツがあるジャン!!!!!と。

 

だが、よく考えてみたら、僕がネットの中で所属してるグループは0だ。ネットで何か活動してるわけでもなければ、同じ趣味の人と付き合いがあるわけでもない。

嗚呼、なんと悲しいことか。これがインターネッツ。僕のことを注目はおろか、人として見ている人なんていないんじゃあないか。

Twitterで例えれば、時々TLに流れてくる書いてある文字。ぼくは字でしかない。これを掲示板に置き換えようと同じだ。

 

高校の頃、同じ部屋で同じように孤独を感じながらも、全然ノリが合わないクラスメイト達が学校にいた。でも今の僕に教室はない。あるのはあの頃死にたい死にたいと喚いてたこの部屋だけだ。

 

友人達と離れ離れになり、ネット中毒なのにパソコンも半ば強制に捨てられ、データの移行の為にスマホの中の写真を全部消すハメになって、楽しいことも出来ることもやりたいことも無くなると、人間こんな風になるんだな。

 

うんこの話からだいぶ飛躍したけど、こんな現状、辛くなったらまた記事を書く。

けど、文才も余裕もない僕にはうんこの記事みたいなユーモアに溢れた記事は書けない。うんこみたいな記事しか書けない。

高校の頃のブログは、たまに見返すと微笑ましく思える。クソみたいな青春時代であったけどそれでも、もがいて頑張ってたなぁ、と。

けれどこのブログを3年後、4年後に見ても微笑ましくなんて思えないだろ。目も当てられない悲惨さだ。

生活は良くはならない。髪でもきりにいこかぁ…